泥沼記

虐殺器官(映画版)

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随分前に下書きした記事になりますが、クリスマスになんだかソリッドな映画を見たくなったので鑑賞した作品

公開前から気になってはいた映画。結局見にいかなかったけど…

 

非常に面白いテーマで、堅実に描かれています

アニメだからこそ表現できる(表現してもギリギリ許される?)シーンもあり、表現に妥協なく作られていました

 

原作は故・伊藤計劃氏のデビュー作で

彼は小島秀夫監督とも親しかったそうですね

特に当時賛否両論だったMGS2を伊藤氏はとても気に入っていたそうです

 

※以下虐殺器官およびMGS2のネタバレが含まれます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MGS2の核心であるS3計画の建前は

ネットの発達で興味のある情報しか摂取しなくなった人類の文化の衰退を止めるため、というものでしたが…

 

虐殺器官はこれをメインテーマに描かれており(というか虐殺器官が元ですね)

自分たちの快適な生活を支えるために苦しむ人の存在

自分とは関係のない他国での虐殺など

これらをある種非現実的なものと見做して真剣に捉えなくなった世界をフィクションとして描いています、あくまでも

 

そして嫌な現実を見て見ぬふりし続けた結果

主人公の所属するi部隊は自らの身体や感情にさえ見て見ぬふりをしながら戦いに身を投じます。すべては自分の「仕事」のために

 

生きるために自由を削って仕事をしていたはずが

仕事のために自由を削られて生きている

 

下半身が無くなった状態でも平然と会話し続ける兵士は今作で一番ゾッとするシーン

こういうSF的な不気味描写は怖いけど好きです

そんな彼に対して千切れた脚を冗談のように差し出して笑ってしまう主人公

感情にマスクをした状態ではまともに他人の死に寄り添うこともできません

 

ネットが充分に浸透した今となっては非常に現実味を帯びた素晴らしいテーマだと思います

今はまだ深刻な問題として表面化していないかもしれませんが、いずれは大きな災厄となって人類に襲いかかる…かもしれない問題です

 

自分に都合のいい情報、見たい情報だけを選択し続けた結果

嫌なことを見て見ぬふりしてしまう、感じるはずの痛みを感じなくなってしまう。感情や倫理観も麻痺していく

個人的には耳が痛くなる話ですね…直感的に不自然な状態だとはわかっていながら

 

他方、ネット上でのコミュニティはどんどん分化してますし、一部のネット上のコミュニティではみんな他の考えには目を向けず、どんどん濃い思想・文化が形成されていきます。笑えるものならいいんですけど、危険思想が熟成するのは怖いですね…

 

また危険思想を持つ人々が地域や言語の壁を超えて結集しうるのも怖いところですね

 

 

S3計画の建前は、以前MGSの記事にも書いていたように最近になって知って、

ネットが今ほど普及していない時代によく考えつくなぁと感動していたのですが

まさか虐殺器官のテーマだったとは知らずに見て、またまた感動していました。運良くタイムリーに見れました

 

 

 

さて最後に

 

ジョン・ポールが虐殺を引き起こしていた目的は、小国の国内だけで人々を殺しあわせ、大国に向けたテロを無くすため。虐殺が他人事でしかないまま時が経てば大国の人々の脳に刻み込まれた虐殺の本能は消えるはず…

本当にそんな本能があって、本当に消えてくれるのなら方法はともかくジョン・ポールの考えは正しいように感じます

 

しかし物語のラストで主人公はアメリカに虐殺を引き起こします

 

劇中での理由はルツィアの遺志が大きいと思いますが、この締めくくり方の意味を私はこう考えます

虐殺を自分たち自身のもの・本能として受け止め、生きていくことが本当に人間として生きるということであり、

虐殺に限らず汚い物には目を背けず、受け入れ、対処しなければならない

 

感情と痛覚のマスクで死を恐れずにi部隊のような仕事を続けた結果、死んでしまうのは人にとって不幸なことです。たとえ苦痛を感じていなかったとしても、本来逃れられたはずの死によって生命を失うのはその人にとって不幸だと言えます

何より下半身を失っても死ぬまで平然としているのは直感的に不気味ですし

 

それならば虐殺の本能を失わされた人間もまた正しい状態ではないのかもしれない

 

もし世界規模で深刻な食糧不足が起こったとして、虐殺の本能を失った人類がみんなで仲良く笑って飢死していくのは、不気味ですよね…?