泥沼記

ゼロ・ダーク・サーティ

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ビンラディン暗殺の舞台裏を描いた作品

見よう見ようと思っていたけど後回しにし続けていたこの作品。なんとなく現代ミリタリー気分に浸りたくなったので目に付いたこれを鑑賞しましたが、ミリタリーというより1人のCIA職員の人生に焦点が当てられた作品でした

ビンラディン暗殺についてあんまり興味がないという致命的な状態で見始めたのですが、見ていると純粋にどうやって見つけたのかが気になってきます。うまく引き込まれました

 

主人公をはじめ、登場人物の演技に注目です

中でも今作のマーク・ストロングはほんとはまり役だったと思います。頭でっかちの上司と半分気の狂った部下に挟まれるマークの演技は見ものです

マークはこういう幸の薄いおじさん役が好き

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公開から随分経つ映画にしてはちょいちょい話題にされている気がする作品

やはりクライマックスの暗殺インザダークは盛り上がりに欠けますが、意図的にそう描かれていたように受け取りました

復讐なんてこんなもんだよっていう風に淡々と悲劇的に描かれていました

 

マヤはパキスタンに配属され、まさに現場に鍛えられていきます

先輩のタフガイだと思っていた男はペット(?)のお猿さんが死んだショックで帰国してしまうし、残った仲のいい同僚も功を焦って罠にはまり爆死…

 

これがきっかけでマヤは復讐、あるいはこの仕事そのものに取り憑かれてしまいます

仕事のコツを掴んできたと思った矢先に鼻を明かされたわけですから、熱くもなります

 

上司の扉に進展の無かった日数を書きなぐり続けるシーンから感じるリアルな狂気

本当に狂っている人間の、ある意味滑稽な様子が表現されていました

 

念願が叶ってビンラディンの骸を確認する彼女の表情には喜びも、怒りもありません

ただ、「へぇー…」という感じ

 

帰りの輸送機にただ1人乗り込んだ彼女はパイロットに聞かれます

「どこへ行く?」

復讐を果たした彼女にはもはや目標がなくなっていたのでした。そして静かに頬を伝う涙…(エンドロール)

 

 

復讐劇というのはフィクションや昔の話ではよくあるテーマですが、これは現代のノンフィクション

現実が生んだリアルな復讐が描かれています

 

とはいえ、彼女にとってのビンラディン暗殺は復讐以上に仕事という意味を兼ね備えていたところにポイントがあるように思えました

 

仕事なら何をやってもいい、暗殺でも

虐殺器官」と同じく、仕事なら倫理的な側面を無視してしまいうる危険性を、この作品も描いているのではないでしょうか

特にビンラディンの部下の妻が撃ち殺され、子供達が怯える姿は、マヤの仕事によって新たな悲劇が生まれたことを強調しています

マヤにとって予想はできていても無意識に目を背けていた事実でしょう

 

妻を射殺したデルタフォース隊員も全く気に病まずに飄々としている様子が描かれていました

撃たれた夫に泣きついただけだと思うのですが、銃を拾って反撃してくるかもしれない状況で、それも暗い室内での話です(暗視ゴーグルがあるにしても)

仕事の上での判断としては彼女を撃ち殺したのは正しいのかもしれませんが、次の仕事に夢中で撃ち殺したことに対して全く感情を抱かないのは問題です(勿論現実でこの兵士が何も感じなかったとは思いませんが)

 

ビンラディン暗殺によって確かにテロは勢いを弱めたかもしれませんが

それは手放しに賞賛されうることではなく、関係者に心の傷を残すものだった

 

仕事の名の下に倫理観にマスクしてしまうことの恐ろしさ

勿論いちいち心を病んでしまうのが良いわけではありませんが、倫理観に目を背けなければ心を病ませるような仕事、善良な人々がそういう仕事に追い込まれる環境がのさばっていることが問題なのでしょう

 

またビンラディン暗殺を達成したマヤが生き甲斐を無くしていたように

全てを投げうって何か一つのことに依存しすぎることの頼りなさも描かれています

終わった後の達成感すらないかもしれませんが、熱中している最中にはそれがわからないのです

 

CIAという極端な例ではありますが、我々の身近な問題に迫っていたように思えます