泥沼記

The Last of Us Part Ⅱ エンディング考察

※ネタバレ注意!

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エンディングでのエリーの心情について様々な角度から考え、まとめています。また気が向いたら追記するかも。

 

 

 

ジョエルを許せないエリー

オープニングのジョエルも語るように、エリーは自分の免疫に意味を求めていた。たとえ命を犠牲にしても、免疫が世界を救えば自分の生きた証を残せると考えていた。レズビアンのエリーはアウトブレイク後のこの世界では血を分けた子を残すことができないわけだから、免疫で世界を救うことは(彼女の信じる形で)生きた証を残す唯一のチャンスだった。

エンディングでの回想シーン。ジョエルとの最後の会話でエリーは、そのチャンスを奪ったことを一生許さないと言い放つのだが、同時にジョエルを許したいという思いも打ち明ける。一生許せないほど憎んでいる人間を許したいと必死にもがくエリーの苦しみを察して、ジョエルは涙する。彼女をそんな苦しみに陥れたのは他ならぬ自分なのだ。

エリーにとってジョエルは勿論大切な存在だし、彼の自分への想いも分かっている。それでも彼を許すことは自分の免疫には意味が無く、ライリーやテス、そしてマーリーンの死が全て無駄であったと認めることになってしまう。

 

 

なぜ復讐に囚われたのか

シアトルの後、エリーは愛するディーナとJJとの平穏な暮らしにさえ光を感じられず、再び復讐の道を歩み始める。あの夜、ディーナとのイチャイチャでジョエルの捜索が遅れてしまった罪悪感も勿論理由の一つだろう。だが、JJの存在でさえエリーの復讐心を消すことができず彼女に光を与えられなかったのは、前作から彼女が抱いているジョエルに対する複雑な思いが邪魔をしたのかもしれない。

 

エリーにとって血の繋がりのないJJを自分の生きる光だと考えることは、自分がジョエルの生きた証=子供であったと認めてしまうことになる。

前作で瀕死のジョエルを救ったエリーは、彼と対等なパートナーでいたかった。自分はサラの代わりじゃないし、ジョエルも「お前は娘じゃないし、俺は父親じゃない」と言い放っていたではないか。元々反抗精神の塊のようなエリーに、これらの思いやファイアフライでの一件が恨みとして加わり、どうしてもジョエルを父親だと認めたくない気持ちが固まってしまったのだろう。

彼を父であると認めることで、前作のラストは「父が娘を救う為の、無条件の愛ゆえの行動」となってしまうのもエリーを悩ませていたのかもしれない。そうなってしまえば、過去に娘を亡くしたジョエルが自分を救わずにはいられなかった気持ちを責めることができないし、マーリーン達ファイアフライの死の原因が自分にあると直視することになる(これが一番キツかったのかも)。

ジョエルが父ではなくパートナーなら、エリーに命を救われた彼が「借り」を返すために勝手にとった行動だったのだと、自分に言い聞かせることができていたのかもしれない。

 

図書館の回想はこのジョエルとエリーの微妙な関係性を象徴していた。このシーンで2人はかなり親子に近い関係となっていたように見えるのだが、最後の最後にファイアフライ脱走者の亡骸と壁に描かれたマークを見つけてしまう。この時点でエリーは真相を知らないとはいえ、やはり彼らの間にはファイアフライの存在が大きく影を落としていたのだろう。前作のジョエルにとってのサラのように、2人にとってファイアフライの存在は逃れられぬ過去だったのだ。

 

今作でエリー以外の若者は皆復讐以外に生きるための「光」を見つけている。アビーはオーウェン達を殺したエリーを見逃し、レブと共にファイアフライの残党探しに旅立った。ディーナはジェシーの復讐を望まず、彼が遺したJJを育てることを選んだ。

やはりエリーにとっての生きる光は免疫による世界の救済だった。それを奪ったジョエルの罪と彼の死は逃れられぬ過去となってしまい、ディーナとJJとの平穏な暮らしでさえその過去を拭い去ることはできなかったのだ。

 

 

蛍から蛾へ

「蛾」は今作のシンボルだ。今作はジョエルがギターのネックに描かれた蛾のマークをしきりに擦っているところから始まるし、ロード画面でも光に群がる蛾を見ることができる。エリーの右腕のタトゥーにも蛾が描かれているし、日記には蛾が度々描き殴られている。

自ら光を放つ蛍から、闇の中で電灯に引き寄せられる蛾への変貌。免疫による世界の救済という大きな光を失ったエリーは、闇の中で別の光を求めて彷徨っていた。「自分と血の繋がりのないJJは決して届かない光に思えた」「ジョエルの死とアビーへの復讐心が大きな闇となりディーナとJJという光をかき消した」など様々な解釈があるだろう。

あるいは「復讐がエリーにとっての電灯=偽りの光となっていた」のかもしれない。彼女にとっての光は世界に生きた証を残すことだった。たとえ復讐が叶ったとしても、生きた証を残すことにはならないのだ。

 

 

目が描けない

日記の絵で目が描かれなかったのはジョエル、アビー、ジェシー。エリーの前で死んだ人間、殺したい人間の目を描けないのは、エリーが人の死を直視できずにいることの表れだろうか。

 

 

クライマックスの解釈

エリーは何故復讐を思い止まったのか。アビーへの同情は一切抜きにしてエリー自身の理由で復讐を思い止まった、という条件で考えてみる。やっぱり甘ったるい理由でジョエルの復讐をやめたとは考えたくない。

 

①一生許せないけど、許したい

まず思いつくのは『エンディングシーンとそのまま結びつける』解釈。ジョエルの最後の言葉、一生許せなくても許したいと思っているなら「それでいい」。

亡くなった人間を真の意味で許すのは難しい。どれだけ憎かろうと死んだ人間を恨むことには虚しさしかない。新たに語りかけてくることもないし、新たに償いをすることもない。ジョエルの償いのチャンス、そしてジョエルを許すチャンスを奪われたことへの怒りがエリーの強い復讐心を生んだのではないだろうか。(勿論ジョエルへの愛もあるだろうけど)

この許したいという思いはテーマでもある復讐の連鎖を解決するのにピッタリな気もするのだが、エリーがいきなりアビーを許したくなったというのは正直考えづらい。アビーを殺さなかった理由は他にあるのではないか。

 

 

②レブの存在

次に考えたのは『アビーとレブにかつてのジョエルと自分を重ねた』という解釈。レブのために戦い、最後まで生きようと必死にもがくアビーの姿は、血の繋がりのない存在にでも光を見出し強く生きられることを示している。アビーと同じように、ジョエルもまた自分に生きる光を見出していたのではないか。

ジョエルの生き様を理解したことで、エリーは遂にジョエルを父として認めたのだろう。フラッシュバックしたジョエルの最後の夜の姿は、父としての印象だったのかもしれない。この夜の会話で、ジョエルとの心の距離はファイアフライの一件以来最も近づいているように思えたし。エピローグの日記にもスケッチされているだけに、この夜のジョエルに対してエリーは特別な想いを抱いていたはずだ。

 

 

③「噛まれて」失った指

感染者に噛まれても何も失うことのないエリーが、皮肉にもアビーに噛まれて失った二本の指。アビーとの決戦の前にわざわざクリッカーに噛まれたシーンがあるのはこのことを強調するためだろう。

指を失ったことでエリーはジョエルに教わったギターを弾けなくなってしまった。エンディングでギターを演奏するエリーはまるで失ったものを確認するかのように虚しい音を奏でる。

回想シーンでエリーは自分が本来なら4年前に死んでいたはずの人間だと語った。免疫が意味を為さないなら病院どころかライリーと共に死ぬべきだったとも考えていただろう。噛まれたら死ぬ世界で免疫を持つエリーは感染による死を恐れる必要がないし、そこにジャクソンでの豊かな暮らしが加わったことで生の実感、現実感を失っていたのかもしれない。そんな彼女も「噛まれて初めて何かを失った」ことで、ジョエルに救われた自分の生を改めて実感したのではないだろうか。

にしてもゾンビ世界で普通の人間に噛まれて色々失った免疫保持者というのはとてもアイロニックで好き。そういえばクリッカーに噛まれたてホヤホヤのエリーの指を食べちゃったアビーは感染してたりして…。

 

 

まとめ

アビーを絞め殺す直前、エリーは指を噛みちぎられて「初めて噛まれて何かを失ったこと」から、『ジョエルに救われた生の実感』を得る。同時に、自分ではなくレブの為に懸命に戦い最後までもがくアビーの姿は『血の繋がりのない存在にでも生きる光を見出せる』ことを強く示している。

これらは自分にとってジョエルが対等なパートナー以上の、父親代わりの存在だったことを遂にエリーに認めさせた。そのことはジョエルが娘に対する無条件の愛ゆえに自分を救い出し、生きた証を残すチャンスを奪った代わりに生き続けるチャンスを与えてくれたことをも認めさせ、『ジョエルを許したいという願い』を後押ししたはずだ。

最終的にエリーはジョエルを許し、『ジョエルの償いの機会・ジョエルを許す機会』を奪ったアビーに対する怒りを鎮めたのではないだろうか。

もちろん愛するジョエルを奪われた怒りは残っているはずだが、彼に対して入り混じる『愛と憎しみ』の両方が強い復讐心を支えていたと考えれば、ジョエルへの憎しみを無くしたエリーの復讐心は半減したのではないか。これによって、アビーを殺すことが瀕死のレブの命まで奪ってしまう(あるいはレブを自ら救ったとしても新たな復讐の芽を植えつけてしまう)ことを無視できなくなったのかもしれない。

他には、一生許せないと思っていたほどのジョエルに対する憎しみが消えたことがエリーに心の平穏をもたらした、とも考えられる。最後にフラッシュバックしたジョエルが、死ぬ間際の姿ではなくギターを弾く穏やかな姿だったことからも、エリーの心が平穏を取り戻したような印象を受ける。

ともあれ僕には、エリーが愛するジョエルを奪われたことを完全に許したとは考えられない。憎しみは残っているだろうけど、復讐心は消えたと考えるのが一番しっくりくる。ジェシーの復讐を諦めたディーナと同じような心境になれたのだろう。

 

そうなるとトミーが最後まで復讐にしがみついていたわけだけど、彼にもまたジョエルに対しての憎しみと兄弟愛が渦巻いているとも考えられるし、マリアとの間に子供を持たないことも影響しているのかもしれない。ただ僕は、彼がジョエルと共にアウトブレイク直後を生き抜いた、残忍な生き方を強いられた世代であることが理由ではないかと考えている。前の世代ではどうしても止めることができなかった復讐の連鎖を、エリーという次世代で止めることができたと考えればテーマ的にも綺麗に収まってくれる。

 

 

エリーが向かう先

エピローグ。弾けなくなってしまったギターを置いていったのは、エリーが最早『蛾』ではなくなったということ。

  • ジョエルの死を克服しアビーへの復讐心を捨てたことで闇を抜け出した
  • 血の繋がりのないJJにも光を見出した
  • 復讐という偽りの光を捨て去った
  • 生きた証を残すために光を求めるだけでなく、失うことにも生の実感があると悟った

…など、ここにも様々な解釈があるだろう。

エピローグでも日記はきっちり更新されている。まず左ページにはクライマックスでフラッシュバックした、ギターを弾く穏やかなジョエルの姿が描かれている。この絵ではちゃんと目が描かれているので、エリーは彼の死をようやく受け入れることができたのだろう。

人の死を直視できるようになって初めて自分が血で汚れていることにも気づいたのだろうか、右ページにはディーナとJJと共に生きていきたい反面、彼女らと生きることを躊躇っている心境や自殺を仄めかす記述もあった。森に消えたエリーがジャクソンに戻ったのか、放浪の旅に出たのか、それとも森で虫達に浄化してもらうことを選んだのかは、プレイヤーの想像次第。

 

 

ジョエルの歌った「Future Days」

If I ever were to lose you
I'd surely lose myself

君を失ったら

我を失ってしまうだろう


Everything I have found here
I've not found by myself

ここで見つけたもののすべては

自分ひとりじゃ手に入れられなかった

 

Try and sometimes you'll succeed
To make this man of me

ろくでなしなこの俺でも

君がいればまっとうな生き方ができる


All my stolen missing parts
I've no need for anymore

他人の真似をするまやかしの自分は

もう必要ない


Cause I believe
And I believe cause I can see
Our future days
Days of you and me

だって信じてるから

君とならうまくいくと

二人の未来を

信じているから

 

ネットを探してもこの曲の邦訳はなかったんだけど、そもそも字幕オンにすれば用意されてたのね…。日本語版の訳を書き写しただけですが一応。

にしても、ジョエルが照れてあんな顔になっちゃうのも頷ける。不器用な男の率直な想いがこもったような、良い歌詞。

シアトル1日目の楽器店には収録アルバムのジャケットがポスターとして貼ってある。直後に歌おうとするのは、それを見てジョエルがこの曲を歌ってくれたのを思い出したからだろう。細かい作り込みだ。